境内図

境内自由。 0時消灯。

略図ではありますが、水火天満宮内の境内を御紹介します。

他、図にありませんが、紅枝垂れ桜が二本、梅が七本あります。







本殿


わかりにくいかもしれませんが、手前が拝殿です。
        階段上奥が本殿となります。菅原道真公を御祀りしています。





拝殿



 桜の時期、夕方の拝殿。
 
  この奥が、上記の本殿です。


  どうぞ御参り下さい。











 
六玉稲荷大明神社


御祭神

  
正一位 六玉稲荷大明神
  正一位 玉光稲荷大明神
  正一位 生島稲荷大明神

 御神徳 


開運除災 
・ 就職祈願

人材確保
・ 商売繁盛


上記三社を合祀してあります。
中の六玉稲荷は、東本願寺の枳毅邸(きこくてい・渉成園)にあったものが、明治維新以前に移され、西陣の地廻守護神となりました。
 特に、縁結びの就職祈願・人材確保に霊験あらたかとして、昔より職工徒弟・芸娼妓・仲居等、雇入れ契約円満に解決する霊験顕著といわれています。


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秋葉大神社


  御祭神   秋葉大神

  御神徳   火伏せ


  
 火難除けの神様です。



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白太夫社

  御祭神  白太夫(度会春彦)

  
御神徳  子授け

道真公は三男ですが、上二人の兄弟は夭逝したようです。
父・是善は、伊勢神宮宮司である渡会春彦に頼み、豊受大神宮(伊勢神宮外宮)に祈願をして、道真公が生まれました。
その後、渡会春彦は都に上って道真公に仕え、大宰府での最後を看取ったのも度会春彦と言われています。
また、道真公が大宰府で亡くなった後、同じく四国に流されていた息子・高視の元に遺品を届けた、とも伝わっています。(現在の潮江天満宮)
白太夫の忠孝を称え、天満宮には共に御祭神として祀っていることが多いようです。

 若い頃から白髪だった度会春彦は、人々から白太夫というあだ名で呼ばれていた為、この名があります。


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弁才天社



 御祭神  玉姫弁才天
      金玉龍王
        正一位 福寿稲荷大明神

 
御神徳  芸能・婦人病
      雨請
      商売繁盛


 弁才天は、本来は芸能の神様ですが、婦人病にも御利益があったということで、そちらの信仰をも集めています。
 一緒に、金玉龍王と、福寿稲荷が祀ってありますので、そちらの祈願も御一緒にどうぞ。


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玉子神石

  安産

 元々は道真公の御愛石で、家族の出産の際に玉子石に安産を祈願されたとのことです。
 妊娠五カ月目以後にこの石に祈ると御利益があると言われています。
 又、「子宝に恵まれない婦人がこの石に祈願を込めると、良き子宝を得る事、夥しくあり」とあります。

 出産の際、卵のように『つるり』と産まれてくることから、玉子石と呼ばれています。

 
初産や年齢に関わらず、『二時間以内に無事産まれた』等のお声を頂いております。

                    
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手水舎

    手水舎です。

  御参りの前に、こちらでお浄め下さい。
  

   手水の作法は、詳しくは作法のページで説明しますが、


   
左手 → 右手 → 口 → 柄杓の柄 

   の順で浄めて下さい


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登天石  菅公影向松(右後方)
登天石とは…

 菅原道真公が大宰府の地に於いて亡くなられて後、都では天変が相次ぎ、雷火の災いが重なったことから、菅公の怨霊の祟りと不安が高まりました。
 時の帝、醍醐天皇は、延暦寺の法性坊尊意僧正に祈祷を依頼します。勅命を受けた尊意が、急ぎ山を下りて宮中へ向かう途中、鴨川が突如増水し町へと流れ込みました。
 しかし尊意は騒がずに、手にした数珠をひともみして、天に向かい神剣をかざして祈りを捧げたところ、不思議な事にたちまち水位が下り、水面が真っ二つ分かれ、水流の間から一つの石が現れました。
その上に菅公の神霊が現れ、やがて昇天し雲の中へ消えて、雷雨も止んだ。ということです。

その石を持ち帰り供養して、登天石と名付けました。


この石に祈ると、「迷子が無事に戻る」と言われています。


菅公 影向松
(かんこう ようごうまつ)

登天石の後ろにあります。

影向(ようごう)とは、神仏が一時姿を現すことですが、松に降りられることが多いようで、各地にあります。

この松は、数代目の松です。






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金龍水


 金龍水という銘がある都名水のの一つであり、鎮座以来、如何なる大旱の際も渇水したことが無く、濁る事もなく水質良好の清水であったとのことです。
 また「眼疾を煩う人、この清水の奇篤によって平癒した人多くあり」と伝わる井戸水です。



        
注意

 この上に載っている石を玉子石と思っておられる方が多いようですが間違いです。
参拝の際に御話する機会があればお教えしておりますが、これは玉子石ではありません。

玉子石は境内の奥、北東にございます。


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出世石





 登天石の右横にある神石
 

 大願成就、世に出る石として信仰されています。









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石標

 登天石の東側 (向かって左。天神公園鳥居右横)
一番上の「これ」の頭の部分が欠けてしまっていますが、『是より洛中 荷馬口付のもの乗べからず』と刻した石柱があります。
 一番上の、「これ」の頭の部分が欠けてしまっています。
意味は
 ”馬に乗ったまま洛中へ入ってはならない”
荷を載せた馬は、馬の口取り(馬子)が手綱を引いて歩くように、という意味です。
 これは江戸時代の交通標識で、元禄八年
(1965年)市街地の交通安全の為に、都への出入り口30カ所に木杭で作られましたが、その後朽ちた為、享保二年(1717年)石標に作り変えられたものの一つと思われます。
 同様のものが、上京区内では、仁和小学校と室町小学校等
にも残されています。



 文明十二年(1480年)、室町幕府が京都に、四方七口を設け関銭をとりました。
 水火天満宮は、堀川頭、鞍馬口街道沿い付近にありましたので、この江戸時代の三十か所の石標もその名残かもしれません。








← 江戸時代の水火天満宮

 
右下が堀川通り。
北上した突き当りが堀川頭、水火天満宮です。
昔は堀川通りはここまででした。

京名所図より
水火天神・瑞光院図
 


 文字部分だけ分かりやすいように
 修正してあります。














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孝学堂跡石碑

   西面の鳥居の前(堀川通鳥居正面右側)に、ひっそりと佇む、孝学堂跡の石碑です。
 
  昭和二年五月、孝学堂協賛会によって立てられました。

  詳しくは、孝学堂についてのページをご覧下さい。




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金玉龍王の池




 
入口横にある龍神の飲み水、龍王の池です。
 金玉龍王は、弁財天と同じ社に祀ってあります。

 

 横にテーブルと椅子の用意があります。






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