水火天満宮 古くは、 御祭神は、平安時代の政治家であり、漢詩人・学者としても有名な菅原道真公です。 水難・火難・災禍除、奇瑞の霊験として、盗難・失踪、雷火災厄。また安産石によって、子宝・安産等の御利益があります。 当社由緒書・家系図には、 『洛陽一条上る下り松の霊地に、雨水雷火の難を消除の守護神として菅公を祭る為に、 延暦寺の尊意僧正に勅命ありし、日の本最初の天満宮の勧請の最初なり』 とあります。 都の水害・火災を鎮める為に、第六十代 醍醐天皇の勅願で、道真公の師でもあった 延暦寺の尊意僧正(第十三代天台座主 法性坊尊意僧正)に命じられ、延長元年(923年) 六月二十五日、『水火の社天満自在天神宮』という神号の勅許を醍醐天皇より賜り、 水火社天神天満宮として、菅原道真公の神霊を勧請し建立されました。 現在は、下記の通り移転しておりますが、この西陣下り松の地は、尊意僧正の別邸であり、僧正下山の際の滞在し、菅公と会見した縁故深き土地である為、ここに奉祀することになったということです。 水火天満宮が「日本最初の天満宮」と号する所以は、上記のように 『天皇の勅命にて神号を賜り、天満宮とした事』と、 『 初めて道真公の神霊を勧請した事 』によります。 (よろしければ、道真と天神信仰 水火天神略縁起ページもお読み下さい。) 文明四年辰九月十日(1472年)、雨乞大賽の当日、第百四代 後土御門天皇 三十歳の御時、御幸があり、御和歌会の際、神殿にて天神名号御震筆を賜りました。(文明四年は応仁の乱の最中です。) また、神主の石見守正景、御菊の紋章の御翠簾等を拝領しました。 現在、当社の例祭が十月十日(旧暦九月十日)なのは、この御幸に因ります。 また明治三十九年勅令第九十六号をもって、幣帛供進ある事によって、一層厳粛なる祭典を行う事になったとのことです。 神主石見守正景の和歌・その他洛中洛外の家宝書類等がございましたが、天明八年(1788年)正月三十日、天明の大火により焼失し、様々な記録も失われました。 支那事変・大東亜戦争、幾多の変遷を経て、昭和二十五年(1950年)堀川通が重要幹線道路となる拡張工事の際、堀川通りを挟んだ西側の上天神町より現在の扇町に移転しました。 現在地は、元の悲田院の跡地でもあります。 詳しくは、当社、神宝物の一つである 水火天神略縁起 を、テキスト化しましたので、よろしければ御覧下さい。 戻る |
御祭神 |
社 | 御 祭 神 | 御 神 徳 |
本社 | ・水難 ・火難 ・学業 ・厄除 ・安産(玉子石)他 |
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末社 | 玉光稲荷大明神 生島稲荷大明神 |
就職祈願 商売繁盛 |
末社 | ・火難伏せ | |
末社 | ・子授け | |
末社 | 福壽大明神 |
・芸能上達・婦人病 ・ 雨請 ・ 商売繁盛 |
末社 | ・即時安産 |
御祭神については境内ページにもございます。
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