貞観 四年(862年) |
式部省試及第、文章生(18歳) |
同 九年(867年) |
文章得業生。
正六位下、下野権少掾(23歳) |
同十二年(870年) |
対策及第。正六位上。(26歳) |
同十三年(871年) |
治部省・玄蕃助。
少内記(27歳) |
同十六年(874年) |
従五位下。
民部少輔(30歳) |
元慶 元年(877年) |
式部少輔。
文章博士(33歳) |
同 三年(879年) |
従五位上(35歳) |
同 七年(883年) |
兼・加賀権守(39歳) |
仁和二年(886年) |
讃岐守赴任(42歳)
宇多天皇即位 |
寛平二年(890年) |
帰京 |
寛平三年(891年) |
蔵人頭。
式部少輔。左京大夫。
兼・左中弁(47歳) |
同 四年(892年) |
従四位下、左京大夫(48歳) |
同 五年(893年) |
参議。兼・式部大輔。
左大弁。
兼・勘解由長官。
兼・春宮亮(49歳) |
同 六年(894年) |
遣唐大使。
遣唐使派遣中止を進言。
兼・侍従(50歳) |
同 七年(895年) |
兼・近江守。
従三位、中納言。
兼・春宮権大夫(51歳) |
同 八年
(896年) |
民部卿を兼ねる
長女入内、女御。 |
同 九年
(897年) |
権大納言。、右近衛大将(53歳)
7月 正三位、兼・中宮大夫(53歳)
醐醍天皇即位(53歳) |
昌泰二年
(899年) |
右大臣。兼・右大将(55歳)
島田宣来子 従五位下 |
同 三年
(900年) |
『菅家文草』『菅相公集(父・是善の詩集)』
『菅家集(祖父・清公の詩集)』を醍醐天皇に献上(56歳) |
延喜元年(
901年) |
従二位(57歳)
大宰権帥に左遷。 |
同 三年
(903年) |
紀長谷雄に『菅家後集』を贈る。
大宰府にて没(59歳) |
同 五年
(905年) |
味酒安行、菅原道真の祠廟を建立(現在の太宰府天満宮地)
長男高視以下、許されて本官に復す。 |
同 九年
(909年) |
藤原時平、39歳にて没。 |
同十三年
(913年) |
長男菅原高視、38歳没。 |
同十九年
(919年) |
藤原仲平(時平の弟)の奉行により味酒安行建立の廟の上に社(現在の太宰府天満宮)を造営。 |
同廿三年
(923年) |
四月、道真は右大臣に復され、正二位を追贈。左遷詔書を焼却。 |
同廿三年
(923年) |
閏四月、天変地異、疫病等を理由に延長と改元。 |
延長元年
(923年) |
六月二十五日、水火天満宮造営。 |
延長八年
(930年) |
清涼殿落雷事件。
醍醐天皇崩御。 |
天慶五年
(942年) |
多治比文子に託宣。道真公を祀る(現在の文子天満宮) |
天暦元年
(947年) |
近江比良宮の太郎丸にも託宣。
多治比文子らと共に協力し北野の地に道真公の祠を移す。(現在の北野天満宮)
道真孫・僧平忠、安楽寺(現在の太宰府天満宮)別当。 |
永延元年
(987年) |
一条天皇が北野天満宮にて勅祭を行い、天満宮天神の神号を賜る。 |
同 三年
(992年) |
安楽寺、天満天神の託宣を注進。 |
正暦四年
(993年) |
5月、正一位・左大臣を追贈。
閏10月、太政大臣を追贈。
勅使菅原幹正、安楽寺に下向。 |